みなさん、はじめまして。
みなさん、はじめまして。
私は、エース合同司法書士事務所の代表の荒谷健一郎と申します。
2010年9月、荒谷健一郎のブログとして「エースストライカーブログ」を開設させていただきました。
本ブログを通じて皆さんに少しでも「司法書士」のこと、「荒谷健一郎」のこと、そして「エース合同司法書士事務所」のことをお分かりいただければ幸いです。
まずは、私の自己紹介よりお伝えさせていただきます。
<プロフィール>
エース合同司法書士事務所 代表・司法書士
氏名:荒谷 健一郎
性別:男性
血液型:A型
生年月日:1979年11月13日
出身地:大阪府吹田市
得意業務:相続・遺言、不動産登記、債務整理、商業・法人登記、成年後見etc.
■東京司法書士会会員(登録番号 第4270号)
■簡裁訴訟代理関係業務認定会員(第412127号)
■東京司法書士会 当番司法書士登録員
■東京司法書士会 無料法律相談員
■成年後見センター・リーガルサポート東京支部会員
<職歴・経歴など>
平成15年 3月 同志社大学法学部法律学科 卒業
平成16年 7月 大阪府の某司法書士事務所(現・某司法書士法人)に入所
平成16年11月 司法書士試験合格
平成16年12月 司法書士登録
平成17年12月 某司法書士法人 西天満事務所所長就任
平成18年 6月 某司法書士法人 東京事務所所長就任
平成22年 8月 某司法書士法人を退職、独立開業
平成22年 9月 エース合同司法書士事務所を開設
代表・司法書士に就任し、毎日奮闘中!
<趣味・すきなこと>
◇サッカー・フットサル・・・
小学校から大学までサッカー活動をし、大学では、サッカー同好会とフットサルチームに入ってました。
現在は、月に1、2度フットサルしてます。
人数が足らないときは、いつでも参加しますので、よろしければ、声をかけて下さい。
◇ブログ・ツイッター(@k_aratani)・・・
気ままに、ブログ更新し、自然体でつぶやいてます。興味のある人は覗いてみてください!
<荒谷健一郎について>
(中学〜高校〜大学)
出身中学は、東大阪市立石切中学校、出身高校は、大阪府立八尾高校です。
中学・高校は、サッカー部に在籍し、毎日ボールばっかり蹴っておりました。
私自身サッカーは、あまり上手ではありませんでしたが、サッカーを通じて、たくさんの友人が作れたことは大変良かったと思います。
なお、小学校卒業時、石切中学校には、公式サッカー部がなかったため、地元の保護者らの応援によって、地元のクラブチームを新しく作ってもらったのを懐かしく思い出します。
その当時のクラブチーム名は、「中河内セレゾン(旧:石切JFC)」だったと思いますが、今はどうなっているのでしょうか。知っている人がいらっしゃれば、ぜひ教えてください。
高校のときも、個性豊すぎなチームメイトばっかりでした。3年生の時は、受験で一時期サッカーを離れましたが、それ以外は、ほとんどサッカーしていたことしか覚えていません。今の八尾高サッカー部は、結構強いみたいですね。私がいたころは、なかなかいい成績は残せませんでしたが・・・
そんなこんなで、大学受験!高校時の学内成績は、自分で言うのもなんですが、上の方だったので、推薦で有名私大にも行ける成績だったのですが、無理して公立大法学部を目指すも、受験失敗。予備校に通うことになり、浪人生活をすごすも、目指した国立大法学部も結局失敗。最終的に同志社大学法学部に入学することになりました。2回の受験失敗で、「世の中頑張っても必ず報われるとは限らない!」と挫折を味わいました。(今はいい経験をしたと思ってます。)
それで、大学に入って勉強するのかといえば、大学の授業がない時は、アルバイト!夜は、サッカーもしくはフットサルの毎日だったと思います。
アルバイトは、GSや飲食店、居酒屋、酒屋などやってましたね。
ちなみに、大学のサッカーはサークルではなく同好会(三つ葉キッカーズ)に所属。サッカーに関しては真面目な同好会で大学生なのに、ほぼ毎日練習がありました。ただ、私、フットサルチームも掛け持ちで入っていたので、毎日練習参加していたわけではありませんでしたが・・・
(司法書士試験受験へ)
そんなこんなですが、さすがこんな大学生活を4年間もすごすわけにもいかず、将来のことを真剣に考えたのは、大学3回生の時でした。私は法学部でしたが、周り同学部の友人は大学1回生の時から、司法試験を目指している人たちばかりでした。
今から勉強しても司法試験には、いつ合格できるのかわからなかったので思い悩んでた時、「司法書士」という職業があると知りました。私自身、会社員や公務員になるよりは、法律知識を活かせる職に就きたいと思っていたので、司法書士に興味がわきました。
「司法書士」なんて、みなさん何をやっているか知らないと思いますが、私もその時まで、そんな職業があることも全く知りませんでした。調べてみると、司法書士は「街の法律家」と呼ばれているらしく、かなりの法律知識を要求されるが、立派な職業だということを知りました。
合格率も極端に低く、当時は、受験者数の3%も受からない合格率で難関な資格試験でしたが、司法試験よりは簡単だろうと思い受験勉強を開始しました。(今考えると、だいぶ浅はかな考えだったと思います。)
実際、受験勉強を始めてみると、なかなか困難な資格試験だと痛感しました。大学の時と同じく、2回受験するも受験失敗。「世の中頑張っても必ず報われるとは限らない!」という挫折を再び味わいました。
(司法書士試験合格〜司法書士として経験をつむ)
しかし、ラストチャンスと考えて、受けた3回目の受験でようやく合格できました。合格できて思ったのは、受験に失敗したのはアンラッキーでもなんでもなく、運も含めて自分の実力が足らなかったからでしかなく、合格できたのはコツコツ努力を重ねた結果と周りの人たちの応援をもらっていたからだと思いました。
ちなみに初めて社会人として就職した某司法書士事務所に入所したのは、3回目の受験後すぐのことでした。なので、まだ合格発表も何も聞かず、資格も何もない状況でこの世界に飛び込んだんです。すぐに就職活動した理由は、試験勉強に行き詰っていたことだけでなく(このときはまだ合格したかわかってませんでしたので)、実務の世界に飛び込みたかったのと、親のすねを長いことかじって、迷惑ばかりかけていたので、一日も早くきちんと社会人として就職したかったからでした。
某司法書士事務所では、新米で社会人経験もない私に、懇切丁寧に、時には厳しく、ときには楽しく教えてくれました。
そして、入所後に司法書士試験に合格発表を聞き、すぐに司法書士登録をいたしました。司法書士として登録することになったとき、先輩から言われたことは、「少しでも周りの人に恩返しをしてください。誰でも司法書士になれるわけではないのに、司法書士になれたのだから。」でした。私はその言葉を聞いて、深く感銘を受けました。そして、「私がこれまで受けたたくさんの人からの恩に対して、その人だけでなく、その他の多くの人の役に立つことが、その恩返しになる」と思い、司法書士として一人前になれるよう一生懸命努力しようと誓いました。
某司法書士事務所入所後当初は、大阪で働いておりましたが、西天満に新事務所を開設することに合わせて西天満事務所の所長を、東京に新事務所を開設した際も東京事務所所長を歴任させていただき、様々な経験をつませていただきました。
東京事務所の開設した時は、一人暮らしをしたこともない私が、いきなり東京で一人暮らしをはじめ、事務所も開設ほやほやで、期待よりは不安でいっぱいでしたが、東京のスタッフのみなさんや周りの人たちの温かい援助があって、楽しくもハードな事務所運営を経験させていただきました。
(独立開業へ)
司法書士試験に合格したとき、やはりいずれは独立開業したい!自分の事務所を持ちたい!という夢がありました。しかし、いきなり独立開業するには、経験も知識も、度胸もまったくありませんでした。しかし、ふたつの司法書士事務所(従たる事務所)の所長を少しだけ経験させていただき、事務所運営の大変さや楽しさを経験させていただき、独立開業することは決して遠い目標ではないと感じました。また、年齢も30歳となったばかりでしたので、自分の人生を大きく変えるチャンスは今しかないと一念発起して独立開業することにいたしました。独立開業に当たっては、妻や家族、今までいた司法書士法人の皆様にたくさんのご支援と、温かい励ましの言葉をいただきました。今は昔と異なり、単に司法書士という資格があっても簡単に繁盛するという時代ではなく、厳しい競争の中で仕事をしなければならず、これから大変なこと困難なことがたくさん待ち構えているかと思いますが、先輩方から教えていただいたことを引き継いで、お客様の立場に立った一番安心できる司法書士事務所になれるよう、経営理念である「安心・誠実・親身」を事務所に浸透させ、それを100%実現できるよう、これからも一生懸命努力し、日々精進し、お客様の信頼をひとつずつ積み重ねて、皆様から信頼していただける事務所になるように頑張ってまいりますので、皆様これから「荒谷健一郎」を「エース合同司法書士事務所」をどうぞよろしくお願いいたします。
とりとめのない長い文章お読み頂きありがとうございました。